”イシューからはじめよ”を読んで建築業界は犬の道だらけと思った話。
自己啓発本を敬遠していた自分がいたのですが年末に実家に帰り時間があったし、たまには読むかと思い、kindleで読むことにしました。
生産性の高い人が自分の何倍作業が早い訳では無く、そもそも求められた仕事を少ない時間でこなしているという冒頭の文章に引き込まれて、気づいたら読み切っていました。
この本に出合えて本当に良かった。
”イシューからはじめよ”とは
著者は安宅和人さんという方で、東京大学大学院生物化学専攻にて修士号取得後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社し、4年半の勤務後にイェール大学・脳神経科学プログラムに入学して学位取得(Ph.D.)されています。
本屋さんに行くと山積みになって置かれているイシューからはじめよ、見たことがある人も多いと思います。「イシューから始めるとやるべきことは100分の1になる」というキャッチコピーをみて、当時無数の検討依頼をクライアントから受けていた私の心をグッとつかまれてしまいました。本来は変な本が好きです。
このほかにも、”悩むということは考えたふり、考えることは解を得ること”という言葉もまた共感をしました。
犬の道とは
著書でも指摘されていましたが犬の道(気合と根性で解決すること)は質の高い問題解決ではないということ。
この言葉を見てグサッと心に刺さった人は多いのではないでしょうか?
あれもこれもというクライアントの要望に都度答えていた自分に、根本的な問題の答えになっていたのか、自問自答しました。
そもそも扱うテーマが漠然としたものではなく建築は存在する(はず)のものなので、戦コンが扱う問題よりも検討する要素は少ないと思いますが、”犬の道”の解説を見て少し思うところがあったのでこちらに書き残しておこうと思いました。
建築業界の犬の道は何があるのか?
本を読んでいて以下のような内容が該当すると思っていました。たぶん氷山の一角です。無数にあると思います。
- スタディと己に言い聞かせて無数の検討をする
- 漠然としたテーマを求められる
- 企業ごとの独特の慣習がある
これらについて少し考えてみます。
建築業界の犬の道イシューにできるのか?
スタディと己に言い聞かせて無数の検討をする
書いていて耳が痛い笑。学生時代に巨匠にあこがれてドローイングをしてみるのはいいのですが、盲目的に描くことに意味がなかったんですよね。量より質とはこのこと。
学生の課題であれば、そもそもの問題は自由度が高すぎるとことだと思っています。課題設定は自由なので制約を自分で決めてしまえばいいのです。例えば建築主はお金がないから最小限のスペースだけで計画するなどですね。そこから最小限のスペースが”人間の行動に必要なスペース”なのか”もの(機能)が必要としているスペース”なのか、など派生して考えることができると思います。そのスペースの考え方(なんでそのスペースなのか?など)そのものに価値が出てくるので、ストーリーも作りやすいです。
学生に戻れるなら自分に言い聞かしたい。。。ホント。
これが現実の設計であると話は違うと思います。私はエンジニアなのでドローイングというよりかは設計図を書きます。ざっくりとしたスペースの確保のために書くのか、mm単位での調整のために書くのか、何のために必要なのか見極める必要が毎度あります。
解析に関しても同様です、”無数の解析ケースをやったが、一枚の手で書いたポンチ絵にも及ばなかった”ということはよくあることです。そのような場合はそもそも解析は必要ないですし、上記同様、やった感より目的に適しているのかが大事なのです。
漠然としたテーマを求められ無数に案を考える
これも状況が多々あるので具体的に示すのは難しい問題ですが、例えばクライアントからサステイナブルな建築を提案してほしいというものがあったとします。私としてはそれが再生可能エネルギー由来の電力を使うことでしたり、ランニングコスト低減を示していると想像しますが、話を聞いてみると緑化や太陽光パネルと担当者によって意見が異なっていたなどです。
もし彼らの言う”サステイナブル”の意味を確認しなかったら、私は類似案件でのエネルギー比較や設備提案、最近の設備動向などをまとめプレゼンしていたと思います。担当者で認識している言葉が異なるので確認することが大きなポイントです。確かにサステイナブルという言葉は抽象的な言葉ですので緑化も入るとは思いますが、無数にある選択肢を限りのあるものにすることで重要なテーマの議論を深化することができます。
独特の慣習がある
建築業界は閉鎖的だと言われることがありますが、どの分野も専門性がある程度高ければ同じく閉鎖的なんだと思います。そこには独特の慣習があり、それに倣うことが生産性を高めているという節があります。この慣習というのは企業の慣習の場合もありますし、個人の慣習の場合もあります。問題は、その慣習を知らない他人は全く生産性を高められないということです。
例えば前やった物件ではokだったから今回もokだと思って〇〇をした、というのがよい例です。設計図を度外視して構造壁に多数の配管を貫通させる施工図が出図されますがNGですよね。
またプロジェクトが大きいと参画する人数も多くなるので、その慣習もめちゃくちゃになり、無意味な出図や検討が多くなりがちです。私は設計チーム3社とクライアント(複数部署)が絡むチームのすべての慣習を理解しようとしましたができませんでした。非常につらい思いをしました。
こればかりは私は解決策が思いつきません。カオスに近いものを感じてます。
最後に
読んでいただいた方の数だけ犬の道はご経験あると思うのですが、自分の思い込みが原因である場合が多いと感じました。
作中でも触れていましたが犬の道は他人にフィードバックもできないですし、後輩に要点を伝達することもできないので自分だけではなく組織としても損をすることにつながります。
建築はものとして出来上がる=解答がある、というものなので最終的には解(良いかは別として)着地するのですが、そこに行くまでに遠回りをしないように自他ともに思い込みを取り外す丁寧なプロセスが必要であると思いました。